Luxury is Forever 顧客との絆が生んだ最高級品
Interview with Giovanni Nodari Serapian
Head of Bespoke & Serapian Patrimony
「『セラピアン』のブランドストーリーは、なかなかいい話なのですよ。まさにイタリアらしい、愛とクリエイティビティの物語とでもいいましょうか…」と前置きして、同社3代目のジョヴァンニ・ノダーリ・セラピアンは次のように語り始めた。
「セラピアンの歴史は、1928年に創業者ステファノ・セラピアンがアルメニアから弟とヴェネツィアにやってきたことに始まります。二人分の学資はなく、兄のステファノは弟にだけは勉強させたいと自分は仕事を求めてミラノへ渡り、ルームシェアをした靴職人が捨てた革の切れ端を使って、小物を作り始めます。その才能と器用さを宿した革製品は、やがてイタリア全土に顧客を持つようになりました。その一方で戦時中だったその頃、戦火を逃れるため、ステファノのトスカーナの取引先だったジーナ・フローリという女性がミラノに避難してきました。そしてミラノでの唯一の知り合いだったステファノに助けを求めたのをきっかけに、二人は共同でビジネスを始めます。ステファノの創造性、ジーナのものづくりのノウハウのタッグにより、ブランドはさらに発展。やがて二人は恋に落ち、公私共々のパートナーとなったのです」
〈三代目で、ビスポークチーフのジョヴァンニ・ノダーリ・セラピアン〉
ジョヴァンニは、そんな祖父母と共に、小さい頃から店や工房で多くの時間を過ごしたそうだ。祖母のジーナがバッグを作る様子を見るのが好きで、失敗が許されないエキゾチックレザーの裁断を行う時は、遊んでいるのをやめてでも飛んで来て、彼女が作業する様子に見入っていたという。
〈セラピアンの代表的技法である“モザイコ”で使用可能な54色のナッパレザー。様々な組み合わせでパーソナライズも可能。〉
顧客との密なつながりが今日のブランドを築く
その後、60年代のイタリアにおける戦後復興期に、セラピアンはミラノやローマの上流階級、チネチッタのショービズ関係者たちに愛され、最高級のラグジュアリー革製品ブランドとして認知される。当時のジェットセッターたちが海外へもセラピアンのバッグを持って行ったことで、その名は世界レベルに。さらに革製品のノウハウがない一流ファッションブランドのレザーアクセサリーを作ったことでもビジネスを広げていった。
「でも数ある老舗ブランドの中で、今でも当時のまま革製品のみで展開しているのはセラピアンだけです。そして今後も自分たちのスペシャリティである革製品だけで勝負したい。香水や宝石・貴金属など他のカテゴリーに広げるつもりはありません。セラピアンのお客様も、常に最高級でニッチな品を求めていると思います」
そんな顧客たちのセラピアンへの愛はコロナ禍でも変わらなかったようだ。ロックダウン中にもかかわらず、ビスポークのオーダーは通常通り入り続けた。同時にオンラインなどを通して、直接会えなくてもいつも以上に顧客に寄り添ったケアを心掛けたとジョヴァンニは振り返る。
〈“モザイコ”は本社内にある工房で熟練職人の手によって一つひとつ作られる。〉
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