Lessons in Luxury from Hong Kong
香港とモダンラグジュアリーの秘密
Theme 1: The Hong Kong art scene
草間彌生さんからジャン・ジュリアンさんまで開館以来、訪れる人たちにインスピレーションと非日常の体験を与えてきたGINZA SIXの中央の吹き抜け空間がこの春、ヤノベケンジさんの新作インスタレーション《BIG CAT BANG》によって1年半ぶりに刷新された。そんな刺激もあってか、意識の矛先はおのずとアートに伸びる。3月に開催された国際的なアートフェア「アートバーゼル香港 2024」には240を越えるギャラリーが参加し、コロナ前の活気を取り戻していた。
サザビーズやクリスティーズといった有名オークションハウスがアジア本社を置く香港は、2013年の「アートバーゼル」のアジア初上陸によって、世界におけるアートマーケットの中心地としての地位を確立した。しかし、それから10年以上が経った今、香港は次のステージに移ろうとしている。MoMAやテート・モダンに比する規模の美術館「M+」が新設され、新たなアート・デスティネーションとなり、インディペンデントな画廊やオルタナティブスペースが次々と誕生。それらの文化を支える、新しい感性をもった若い富裕層も現れた。そうした次世代のVIPの嗜好やニーズをいち早くキャッチし、商業空間に反映しているのが、GINZA SIXのプレミアムラウンジ「LOUNGE SIX」の提携先でも知られる名門ショッピングモール「LANDMARK HONG KONG(以下LANDMARK)」だ。彼らはアートやライフスタイルを取り入れることで、既存のラグジュアリーと現代文化を軽やかに架橋している。でははたして現代的なラグジュアリーとは何を指すのか? アートとコマースはどのような関係を結べるのか? グローバル時代において東京をより魅力的にするには何が求められるのか? ここでは2つの特集を通して、ラグジュアリーの“これから”について学んでみたい。
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Theme 1: The Hong Kong art scene
“美術館”の枠を超えた次世代の美術館
( M+ )
香港の新たなデスティネーションとなった「M+」には今、世界のアート関係者から熱視線が注がれている。“ミュージアム・アンド・モア”を標榜する彼らが見据える、未来の美術館像とは?
写真/M+のメインフロア。夜間にDJイベントが行なわれ若者で溢れかえることも。
From an Art Market to a Cultural City
香港がアートマーケットから文化都市になるとき
ビクトリアハーバーを眺める九龍半島のウォーターフロントに位置する美術館「M+」は2021年の開館から数年で香港の新しい“顔”となった。いや、アジアを代表する“アート・デスティネーション”になったと言っても過言ではない。ヘルツォーク&ド・ムーロンが設計した建物は65,000平方メートルの面積を誇り、33のギャラリーのほか、3つのシネマハウスやラーニングハブ、リサーチセンターからレストランまで様々な文化施設を有している。来館者数は2023年だけで約280万人。その8割が18〜44歳と若いことからも、新しい文化施設としての活況ぶりが伺える。
同館の特徴は、彼らが扱うメディアの幅広さにある。「アジア初のグローバルな視覚文化(ビジュアル・カルチャー)の美術館を設立すること、それが私たちのビジョンです」。そう語るのは館長のスハーニャ・ラッフェルさんだ。この「視覚文化」には、単にビジュアル・アートだけでなく、デザインや建築、ムービング・イメージも含まれる。さらに「20世紀から21世紀まで」をカバーするというから、その領域は途方もなく広大だ。しかし、なぜ視覚文化全般なのだろうか。「現代的な感覚では、私たちの生活は現にそうなっていると思います」とスハーニャさんはいう。さらに同館でリード・キュレーターを務める横山いくこさんは、より多孔的でオープンな現代の生活感についてこう言い加える。「一般的にアートは美術館で鑑賞するもので、デザインはお店で買うものと分けて考えられがちです。でも私たちの生活を考えると、家で絵を飾ること、椅子に座ること、お茶を飲むことは常に同時に起こっている。本来そこにヒエラルキーはないはずです」
写真/1枚目. 香港の籐椅子。左右には剣持勇やサンパウロ拠点のスタジオがデザインした籐製の椅子が並び、意匠の違いを浮かび上がらせる。2枚目. 倉俣史朗が設計を手がけた寿司屋「きよ友」は建物全体が移築され、建築セクションの目玉となっている。3枚目. 横山さんが担当した「Things, Spaces, Interactions」。この展示を観るためだけにM+に行く価値ありの圧巻の充実ぶり。M+の独自性はコレクション構築やキュレーションの方針にも宿っている。西洋のほとんどの美術館や博物館では、万博のパビリオンのように、収蔵品が国ごとに分けて展示されているが、同館ではインターナショナルな対話や交流を見せることに重きが置かれている。
「20世紀は良くも悪くも“交流”の時代でした」と横山さんは言う。「今でこそ自明視されている“日本らしさ”や“中国らしさ”といったものも、それが形づくられる過程には他の国や地域からの様々な影響があった。その国の“らしさ”は他の国との関係の中で形成されていくものです。しかし、これまでアジアの美術史やデザイン建築史でそうした語りはほとんどなかった。それを俯瞰して見ようというのがM+の試みです。私たちは個別の作品やプロダクトではなく、香港とアジアの、あるいはアジアと他の地域の国々の交流やつながりそれ自体を集めているんです」。
そのアプローチを体現するのが、横山さんがキュレーションを手がけた「Things, Spaces, Interactions」である。M+のコレクション収集のハイライトでもあるこの展示には、過去70年にわたり、アジアをはじめ世界中に大きな影響を与えた家具や建築、グラフィックアートなどのデザインオブジェクトが500点以上並び、デザインをめぐる国境を越えた交流や影響関係を紹介している。
写真/1枚目. ダイハツのミゼットは60年代にタイに渡り、改造されてトゥクトゥクが誕生した。2枚目. M+の12階にあるパトロンと会員専用ラウンジ。アートや美術書に囲まれてカクテルや食事を堪能できる。3枚目. 菊竹清訓が大阪万博のために設計したエキスポタワーのパネル。こうした展示は、西洋を中心にした美術・デザイン史に揺さぶりをかけると同時に、欧米の主要なアート機関と同じ土俵に立つために必要な戦術でもあるのだろう。「私たちは、ヨーロッパや北米にあるアート機関の対等なパートナーとして、視覚文化をめぐる会話に参加する必要があります」。そう述べながらもスハーニャさんは「M+だけでは充分ではありません」とも付言する。「なぜなら世界の半分はアジアであり、地域間の歴史は複雑に絡み合っているからです。歴史は見る視点によって変わる。ですから、アジアには異なる視点から視覚文化の歴史を語る機関がもっと必要なのです」。
一方、M+が地元コミュニティにもたらす影響も計り知れない。学校での美術・文化史の教育がほとんどなく、国際的なアートフェアやオークションハウスの存在感が強い香港にとって、M+はアートをまた違った視点で見ることを教えてくれる“学校”でもある。
「モノの価値は金銭的な価値だけで決まるものではありません。モノには文化的な価値や歴史的な価値もある。そうした価値を理解するには、知識体系が不可欠です。ですから、美術館のような文化施設は価値観のバランスを取るうえで非常に重要な存在なのです」
Suhanya Raffel
スハーニャ・ラッフェル(写真1枚目)/2016年からM+ミュージアム・ディレクターに就任。CIMAM(近代美術館・コレクション国際委員会)の会長も務めている。
Ikko Yokoyama
横山いくこ(写真2枚目)/M+建築&デザイン部門リードキュレーター。同館には開館準備中の2016年から参加し、収蔵品とリサーチのために世界各地を飛び回った。
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香港の今を見つめるアーティストのまなざし
( Local Artists )
巨大なアートマーケットが存在する香港で、アーティストたちは地に足のついた活動で国際的に評価を高めている。ふたりの作家に話を聞くべく、彼らのスタジオがある火炭(フォータン)地区へ。
A Social Sculptor in the Spotlight
再発見された社会彫刻家
「この数年たくさんのアーティストが政治的な理由から、あるいは自由を求めて香港を離れました。でも、私は香港について語るのであれば、ここに留まらなければならないと思っています。そうでなければ語ることができない、香港の人々の物語があるんです」
そう語るのは香港在住の彫刻家、ジャファ・ラムさんだ。1990年代から様々な地元コミュニティと協働し、労働やアイデンティティ、都市の集団性を扱ったサイトスペシフィックな作品の制作を続ける作家である。一般的に絵画と異なり、インスタレーションはコレクターが買いづらい形式だとされるが、それは巨大なアートマーケットがある香港も例外ではない。“売りやすさ”を一切気にせず自身のつくりたいものだけをつくり続けているジャファさんは、批評的な評価を受けながらもマーケット的には長らく“知られざる存在”だった。彼女が“発見”されたのはつい最近、2021年のこと。ベルギー発のメガギャラリー「Axel Vervoordt Hong Kong」でのグループ展に参加したところ、ギャラリーのオーナーが気に入り、翌年の個展開催につながった。
写真/2023年のアートバーゼル香港では、衣料工場の女性の労働者たちと傘のリサイクル生地を縫い上げた全長14メートル《Trolley Party》を発表(写真1枚目)。「労働者に光が当たることは稀。だから、アートバーゼルの真ん中にこの作品を置きたかったんです」。2022年に発表したソフト・スカルプチュア《Minding the G(r)a(s)p》から(写真2枚目)。2014年から収集する赤い傘の布を再利用し、大きな旗に縫い付けた。「作品が売れ始めたのはここ数年のことです。それまでの20年間、出展した作品はすべてスタジオに戻ってきていました」。そう語るジャファさんは謙虚だが、美術館は今度こそ彼女の存在を放っておかなかった。作品はすでにM+やポンピドゥー・センターに収蔵されることが決まっている。ギャラリーとアートフェアと美術館がそれぞれの役目を果たすことで、個人コレクターでは買いにくい作品の作り手を支える。そんな健全なエコシステムが、マーケットの原理が強い香港のアートシーンにも確かに存在しているのだ。
「以前はよく、なぜお金にならないのにアートをつくり続けるのですか? と訊かれました。それに対して私は、『私のようなアーティストが香港にまだいることを証明したいからです』と答えました。家を飾るものだけがアートではありません。アーティストのあり方は多様でなければならないんです」
Jaffa Lam
ジャファ・ラム/彫刻家。1973年中国生まれ、香港を拠点に活動。リサイクル素材を使ったミクストメディアの彫刻など、サイトスペシフィックな大規模作品を得意とする。
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1993年創刊の『ArtAsiaPacific』は中東から日本までアジア全域のアートを英語で発信している老舗のアート雑誌。同誌の編集長エレインさんは、ジャファが地元コミュニティや見えざる人々とともに協働している点を賞賛する。「女性の彫刻家で30年以上制作を続けているのも驚異的です。彼女が香港で再発見され、評価が進むのはすばらしいことだと思います」
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Landscapes of Imagination
記憶と想像が描く香港のランドスケープ
デイヴィッド・ホックニーと北斎の画集、サモトラケのニケと仮面ライダーの模型、自転車にニンテンドースイッチ。これらがすべて、香港を代表する若手アーティストのスタジオに置かれているものだと言ったら意外に思われるだろうか。しかし、香港が西洋と東洋が交わる交易の港であったことを考えれば、その交差性はちっとも不思議ではない。むしろ、それこそがグローバル化が加速している現代の香港らしさとも言えるだろう。
スティーブン・ウォン・チュンヘイさんは香港の自然や街並みを自分自身の解釈と想像力を交えて描く風景画家だ。超現実的な彼の絵は色彩豊かで、大型作品になると観る者をVR以上の没入感に誘うが、自然の中に小さな人間を描き入れるスタイルは山水画の伝統を汲んでいる。しかし、今の画風を確立するまでには、ユニークな寄り道があった。
写真/日本のポップカルチャーの影響が伺えるスティーブンのアトリエ。彼曰く、キャラクターのフィギュアは“現代彫刻”であるという。体を動かすのも好きで、おすすめのハイキングコースとして、“香港の宝物”と評されるMacLehose Trailを紹介してくれた。「大学ではコンセプチュアルな作品やインスタレーションを制作していました。カーレースのゲームでゆっくり運転して、美しい風景を見つけては油彩で描いたり(笑)。でも2年くらいして、自分は風景を視覚的に捉えるより体感するほうが好きなのかもしれないと気づいたんです。それでスケッチブックを持ってハイキングに行くようになりました」
それ以来、ハイキングはスティーブンさんの創作にとって切っても切れないアクティビティとなっている。山中や田園地域のスケッチに独自の解釈を加えて再構築された彼の絵は、これまでも香港美術館に所蔵されるなど地元のコレクターに愛されてきたが、近年では海外でのプレゼンスを高めつつある。2022年にはロンドンのギャラリー「Unit」で個展を開催した。
香港の摩天楼や道路といった人工物が描かれているのもスティーブンさんの風景画の特徴のひとつだが、それは彼が香港の外に出たからこそ獲得し得た視点なのだろう。「昔は香港のビル群が嫌いだったんです」と彼はかつてを振り返る。「形も退屈に思えました。でも、ヨーロッパの国を巡って草原や湖や森を描いていると、ふいに香港の風景が恋しくなる瞬間があったんです。そのとき、僕は香港のある部分を受け入れたのだと思います。美しいものばかりではないかもしれないけれど、この風景の中で自分は育ったのだ、と」。
自分のいる環境を知ること。外から自国を見つめること。視点を固定せず、絶えず変え続けることによってこそ、今日のオリジナリティは形づくられるのだろう。
Stephen Wong Chun Hei
スティーブン・ウォン・チュンヘイ/ビジュアルアーティスト。1986年香港生まれ。香港中文大学美術学部を卒業後、作家となる。今年7月には日本のアートフェアに参加予定。
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香港島のサウスサイドに位置するGallery EXITは2008年に設立され、様々なメディアにおいて先進的で意欲的な作品を展示するコンテンポラリーアートのギャラリー。今回は「国際的な知名度も高い香港の若手を代表する作家」としてスティーブンを推薦してくれた。「風景という絵画の普遍的な題材に、スティーブンは香港独自の視点を加えているのです」
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グローバル時代のアイデンティティを求めて
( Art & Business )
検索すれば誰でも同じ情報に辿り着ける今、何が個性をつくるのか。アドバイザリーファームとオルタナティブスペース。事業は違えど、ふたりのオーナーが口にした応えは意外にも似ていた。
There is No Royal Road to Art
アートに近道なし
「私が引っ越してきた10年前、香港のアートマーケットはまだ勃興期でアートをコレクションというよりもショッピング感覚で買う方が多かったのですが、最近ではコレクターの目も肥えてきて、より戦略的にコレクションしたいというニーズが高まっています」
そう語るのは、香港とニューヨークに拠点を置く国際的なアートアドバイザリーファームArt Intelligence Global(以下AIG)共同設立者の寺瀬由紀さんだ。前職のサザビーズでは現代美術部門のアジア総括として、10年にわたりアジアで現代美術のマーケットを開拓するとともに、世界にアジアの現代美術を発信し続けてきた。その中で、アジアにおける市場の成熟やコレクション構築に関するアドバイザーの不足を感じたことを機に元同僚とAIGを立ち上げ、現在は個人コレクターや美術館に向けて中長期的な視点から様々なアドバイスを行なっている。
写真/ギャラリーが集結しているエリア黄竹坑(ウォンチョクハン)にオフィスを構えるArt Intelligence Global。展示空間も併設されており、今年3月にはジェフ・クーンズの展示を行なったばかり。寺瀬さんのデスク周りでは個人所有のアートが守護神のように見守る。そんな寺瀬さんによれば、香港をはじめとしたアジアのコレクターは若くて急成長しているそうだ。「20代・30代のコレクターがすごく多いんです。彼らは親の世代より英語に堪能で情報収集能力も高く、アンテナの張り方が今風なので、アートに関する知識の吸収も非常に早い。4〜5年前はポップアートなどわかりやすいものが人気でしたが、最近はそれぞれ自分なりの好みやスタイルで作品を買う人が増えてきました」。
翻って日本はどうだろうか。寺瀬さんは日本で独自に発達したマーケットを評価しつつも、アーティストを世界のアート文脈に乗せる役割の欠如を指摘する。「日本のほうがタニマチ基質の人は多いと思います。トレンドに関係なく、自分が良いと思ったアーティストを支援する文化もある。ただ、それを世界の文脈に乗せる力や方法は足りていない気がします」。
では、どうすればいいのか。「外を見ること」だと寺瀬さんはいう。
「世界のトップを走っている日本の作家さんはみんなどこかのタイミングで海外に出ています。外を知らなければ、日本の良さや強みもわかりません。海外に行って、自分の目で作品を感じ取ること。これはアートを集めたいという富裕層の方にも必ず申し上げるアドバイスです。アートに近道はありません。時間をかけてたくさんのアートに触れるしかないと思います」
Yuki Terase
寺瀬由紀/サザビーズのコンテンポラリーアートアジア統括としてアジアマーケットの躍進に貢献、同市場の売上高3倍を達成。2021年に独立し、元同僚とAIGを設立した。
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A Shophouse Reborn
日常の中のアートを解き放つ
情緒の漂う下町エリア大坑(タイハン)の一角に、香港のカルチャーキッズから支持を集めるオルタナティブスペースがある。2020年にオープンした「THE SHOPHOUSE」だ。1930年代に建てられた5階建て住居を修繕したこのビルでは、アートの展示からヴィンテージ家具や生活工芸の販売、あるいは映画の上映会まで、毎週多岐にわたるプロジェクトが行なわれている。企画は、運営チーム5人の合議によって決めているそうだ。「展示には専門のディレクターがいますが、僕らはかなり密接に仕事をしています」と話すのはオーナーのアレックス・チャンさん。「それぞれが投票し、全員の同意が得られなければそのアーティストを展示することはできません」。
THE SHOPHOUSEの特徴は、彼らが考えるアートの定義の広さにある。
「この店のキーコンセプトは、“日常の中のアート”です。香港の人々の多くはいまだにアートは絵画のことだと考えています。写真でさえアートだという認識がない。でも、僕は茶餐廳(チャーチャーンテン)(地元のお茶屋)も、陶磁器のマグカップも等しくアートだと思う。だから、日常生活で使えるものもよく扱っているんです」
写真/取材時はDong XiaochiとNaomi Workmanの個展が開催されていた。過去にはオートモアイなど日本人作家の展示も。1階にはティー&コーヒーバーがあり、スティーブ・ハリソンの陶磁器などが並ぶ。ロンドンの『Monocle』誌で働いた経験をもつ彼は香港アートコミュニティが活発な理由をこう説明する。「規模が小さい分、ネットワークが強い。オークションハウスや著名作家、ギャラリストに会いたいと思えば、知り合いを通じてすぐにつながれるんです」。
そう語るアレックスさんの口調は落ち着き払っている。発言の端々からは達観を感じる。現代のラグジュアリーは何かと尋ねても、すぐに含蓄のある答えが返ってきた。「例えば、この近くに行列ができる屋台がありますが、僕はいつでも並ばず席に着くことができる。それが僕にとってのラグジュアリーです。それは単なる値段ではなく、体験なんです」。
そんな彼は、グローバル化が進む今日においてアーティストやギャラリーが取るべき態度をこう述べる。
「大切なのは、自分たちのアイデンティティを保つこと。今は3歳から80歳まで同じ通信技術を使えて、誰でも同じ情報にアクセスできる。だからこそ、僕らは自分たちの歴史に目を向け、それぞれの国や地域の文化やアイデンティティを維持する必要があるんです」
Alex Chan
アレックス・チャン/ロンドンで働いた後、香港でクリエイティブエージェンシーUNVEIL LIMITEDを創設。建物に惚れてTHE SHOPHOUSEを開店。
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文化の種をまくアートインスティテュート
( The Art of Asia and the World )
アートと都市とそこで暮らす人々。そこにはどのような影響関係があるのか。アートフェア、ギャラリー、美術館。3つの異なる視点から、目下勢いを増す香港のアートシーンのダイナミズムに迫る。
Art Basel Hong Kong
アートバーゼル ホンコン
The Making of an Art Hub
アートバーゼルが香港にもたらしたもの
2013年に産声を上げたアジア最大のアートフェア「アートバーゼル香港」。毎年世界の著名なギャラリーとアジア拠点の厳選されたギャラリーが参加し、会期中には国内外から多くのコレクターが足を運ぶ。またフェア以外にも「Para Site」や「Asia Art Archive」をはじめ非営利団体にアートスペースを提供するなど、地元コミュニティへの支援も手厚く、“アートのハブ”として知られる今の香港の土台づくりに大きく貢献した。
「私たちの目標は、文化的な才能を育成・紹介するとともに、アートのエコシステムの中で様々な役割を持つ個人や団体を結びつけるコネクターになることです」。そう語るのは2022年、アートバーゼル香港の新ディレクターに就任したアンジェル・シヤン・ルーさん。同フェアには準備期間の2012年から参加し、これまで10年以上にわたり地元コミュニティとの協働に尽力してきた。次の10年も「地域社会との関係を深めていくこと」が重要な仕事になると彼女は言う。それはアートバーゼル香港が地元の人々に支えられていることを身に染みて感じているからでもあるのだろう。
写真/今年3月開催のアートバーゼル香港には242のギャラリーが参加し、コロナ前の活気を取り戻した。アンジェルさんはフェア期間の運営を「5日間の街づくり」になぞらえる。
「香港のコレクターには感謝が絶えません。アートのビジネスモデルに精通した彼らは、アートバーゼルや国際的なブランドが香港に留まるには、それらの商業を自分たちで支えなければならないことをよく理解しているんです。コロナ禍の彼らのサポートは非常にありがたいものでした」
バーゼルがアジアの開催地として香港を選んだ理由に、金融ハブであることや関税がかからないフリーポートといった条件があったことは確かだ。だが、それだけでフェアは成功しない。アンジェルさんは言う。「どれだけ資金力があっても、コミュニティの支援なしに健全なエコシステムは発展しないのです」。
Angelle Siyang-Le
アンジェル・シヤン・ルー/2012年からアートバーゼルのギャラリー・リレーションを担当するため香港に移住。中華圏の事業開発責任者を経て、2022年にディレクターに就任。
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Towards the Next Decade
コミュニティを刺激するアートの送り手たち
Hauser & Wirth Hong Kong
ハウザーアンドワース ホンコン
チューリッヒで始業し、ロンドンやニューヨーク、パリに支店を構える世界有数のメガギャラリー「Hauser & Wirth」。ロニ・ホーンやピエール・ユイグ、シンディ・シャーマンが所属する彼らのアジアで初となる拠点が香港にある。香港へ出店した背景にはビジネスのしやすさがあるという。「香港はアートの輸出入に関税がかかりませんし、地理的にもアジアの中心に位置していることは大きな利点だと思います」と同ギャラリーのディレクターのエレイン・ウォックさんは述べる。また香港のコレクターの特徴については、一般化は難しいと断ったうえでその“国際性の高さ”を指摘する。「私たちのクライアントはみんな世界中を飛び回っています。彼らはニューヨークやロンドンのギャラリーで買うのと同じ感覚でここでアートを購入するんです」。2018年に香港の高層ビル内に出店した同ギャラリーは2024年1月、店舗を中環の大通りに移転した。それも路面店、18ページ以降で紹介するLANDMARKの目と鼻の先だ。彼らの移転は香港のアートシーンが成熟し、勢いを増していることを物語っている。
CHAT (Centre for Heritage, Arts and Textile)
チャット(センターフォーヘリテージ, アートアンドテキスタイル)
紡績工場をリノベーションした複合施設「The Mills」の一角にあるアートセンター「CHAT」は多くのアート関係者からも「絶対行くべき」と度々名前が挙がる注目のカルチャースポットだ。香港の近現代の歴史と現代美術、デザイン、クラフトを架橋する質の高いキュレーションに定評があり、開館から5年で、すでに地元の人たちが“誇り”に思うスペースへと成長した。今では美術好きから家族連れや学生まで、日々幅広い層が訪れている。そんなCHATについて、同館のチーフキュレーター兼館長を務める高橋瑞木さんは「今後も香港の人々と世界のアーティストを結びつけながら、ヘリテージの中にあるミュージアムならではのシナジーを生んでいきたい」とその展望を語る。地元と世界を同時に見ること。人々を刺激し巻き込みながら、次の世代のアートコミュニティを育んでいくこと。高橋さんの言葉は、本特集内でアーティストやアート関係者が異口同音に語ってきたことにも通じる。コミュニティのアートに対する意識が高まる次の10年、香港はますます刺激的な都市になっていくのだろう。
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Edit: Yuka Okada (81)
Text: Sogo Hiraiwa
Photos: Jason To, Lai Yat Nam
Content Coordination: Miyako Kai