歴史、建築、デザイン、文学……。
銀座で見つける文化のレイヤー。
森岡督行|森岡書店代表
期間ごとに一冊の本だけを売るユニークな形態で、人と本の幸せな出会いを演出してきた「森岡書店銀座店」がオープンしたのは2015年。7年の間に書店も店主の森岡督行さんも銀座に深く根を下ろし、今ではこの街のカルチャーの一翼を担う存在です。自分たちも含め銀座全体が大打撃を受けたコロナ禍の中、森岡さんには「銀座のよいところを見よう」という気持ちが芽生えたそう。森岡さんと、ぶらり街歩きをご一緒しながら、銀座の“すごい!”を探検してきました。
MAGAZINE|2022.04.01
--森岡さんが、茅場町にあった書店を移転し、1期間1冊というテーマ性の高い「銀座森岡書店」をオープンなさって7年になります。現在の場所に移ってきたきっかけは何だったのでしょうか。
「茅場町の店舗が10年目を迎えるにあたって、新しいことをしたいと思ったのがそもそもの端緒です。原爆投下直後の1945年、広島に『アトム書房』という本屋がありました。この先60年は草木も生えないと言われる中で、ある若者が広島の復興を担おうと古本屋を始めたんです。その様子を写真家の木村伊兵衛が写真に収めていて、広島市立図書館に保管されていたりもする。移転を考え始めたのは東日本大震災の後でもありました。関東大震災からの復活、戦後の復活、震災からの復活。日本人がそうやって幾度も立ち上がってきたことを、人々が集まる場所でやりたい。1冊ずつ本を売ることはそういうところから生まれたアイデアですね。
そのタイミングで、現在の書店がある銀座1丁目の鈴木ビルの物件が出てきました。この建物は1929年の完成で、東京都の歴史的建造物に指定されているのですが、その来歴にも惹かれていたんです。実はこのビルには、名取洋之助や土門拳、亀倉雄策、熊田千佳慕といった面々が出入りして、対外宣伝誌の『NIPPON』をつくっていたそうです。昭和初期、ここでこの面々が意見を交わし合っていたのかと思うとそれだけですごい。
でもコロナ禍に突入して、さすがにこれまでかと思いましたね……。もうだめだ! という時にふっと助けてくださる方が現れたり、文化助成の補助金に挑戦したりして、なんとか生きながらえました。
コロナ禍は銀座を直撃しました。ウチだけではなく、どこも本当に大変で。それもあって、この際に銀座の良いところを見ようという気持ちが芽生えました。街を散歩して、いろんな発見をしましたよ」
--銀座を歩いて見つけたそういった発見をいくつか教えていただけますか。
「たくさんありますよ~。つい最近気づいたのが……明治から昭和初期にかけて活躍した政治家・後藤新平が関東大震災後に敷設に尽力した昭和通りは、道幅が44m。そして銀座を東西に横切るもう1本の中央通りは幅27mです。この数字を電卓で計算するとなんと約1.6:1で黄金比なんですよ! 銀座という街が長く安定するのはこういう要素があってこそなのか! と思いましたねえ。それから1932年完成の和光の建築。あの屋上にある時計台は四方がほぼ正確に東西南北を向くようにつくられているそうです。南側の時計は、南中の日光を受けて、毎日12回鐘を鳴らしている。当たり前の事実ともいえるけれど、それってよく考えるとすごいこと。太陽の最大限のエネルギーを受け続け、鐘を鳴らし続けている……。あの辺りがエネルギーに満ちているのは、そういうことの恩恵のような気すらします(笑)」
--ものすごくユニークな捉え方ですね。長い歴史のある銀座の街だからこその、ミステリアスな側面を感じます。
「ええ、まだまだあるんです。銀座って実はとても植物が多い。“柳通り”“マロニエ通り”“椿通り”など、植物の名を冠した通りが多いのもさることながら、アジサイの多さも特筆すべきものがあります。圧倒的なシンボルといえるのが柳。これも調べていくと実に多くの逸話が出てきます。
古い立派な建築を見ていくのも面白いですよ、森岡書店が入っている1929年完成の鈴木ビルもいい風情ですし、現在アンリ・シャルパンティエが入っている〈ヨネイビル〉も1930年完成と同時期の作品です。ほかに〈教文館〉のビルが1933年のアントニン・レーモンドの作だということは今ではあまり知られていませんね。
デザインの街、という側面も捨てがたいです。中央通りを歩くだけで、GINZA SIX、三菱UFJ銀行、MIKIMOTOは原研哉さん率いる日本デザインセンター、松屋銀座の書体は仲條正義さん、松屋銀座とメトロをつなぐ地下通路のタイルは佐藤卓さん……。良質のデザインが一堂に会する街であるというのは、ひとつの価値だと感じます」
--次々と知らなかった話ばかりが出てきて驚きます。まだまだお伺いしたいところですが(笑)、この街に根を張り、あらゆることを調べられ、実際に足を運んで……と年月を重ねてきた森岡さんにとって、銀座とはどんな街でしょうか?
「職人の街、ですね。デザインや建築にしてもそう、バーテンダーの人の氷のつくり方や、各店がしのぎを削るショートケーキやモンブランのバリエーション、お店の接客……。すべてが職人技の一言に尽きると思います。そういった職人的美学の礎には、1872年に銀座で生まれ、銀座と共に歩んできた資生堂の初代社長である福原信三さんの存在が大きくあると思います。銀座に店を構えたことで、そういったことが徐々にわかってきました。
この7年間で横のつながりも生まれてきていて、コロナ禍はその絆を強めるきっかけにもなりました。
銀座3丁目に店を構える和菓子店「木挽町よしや」の三代目・斉藤大地さんが始めた「銀座もの繋ぎプロジェクト」の輪に私も入れていただいたのは大きなきっかけです。
それから呉服店「銀座もとじ」の泉二啓太さんや「銀座松﨑煎餅」の松﨑宗平さんが旗振り役となった「銀座玉手箱」というプロジェクトも印象的です。銀座で商いをするいくつものお店の商品をひとつの箱に入れてお買い求めいただくもので、僕はそこに伊藤昊写真集『GINZA TOKYO 1964』を出品させてもらいました」
ーー森岡さんは、GINZA SIXに入っていた「シジェームギンザ」とコラボレーションしてバターサンドの販売なども手がけておられます。そういうお仕事を通じて、GINZA SIXをどのようにご覧になっていますか。
「GINZA SIXには、6Fに蔦屋書店があるからかなり頻繁に行くのですが、インテリアも外観もとてもきれいで、余白が多い。それをすごくいいなと思っています。余白が多いことが商業施設としてどうかというのは、ひょっとして議論の余地があるのかもしれませんけれど(笑)、いち客としてはすごく好きです。
先ほどお話しした伊藤昊さんの写真集は、1964年、前回の東京オリンピックの頃に銀座の各地を撮影したものです。1枚ずつロケ地や状況を読み解いていくととても面白い。その中にアドバルーンが写り込んだ1枚があって……。今では全く見かけなくなりましたけど、希望に満ちたアドバルーンがとてもいいなあと思っています。GINZA SIXでいつか何かできるならば、中央の吹き抜け空間でアドバルーンを上げてみたいなあ。次の6周年には6本を上げてみるなんてどうですか?」
〈プロフィール〉
森岡督行(もりおか・よしゆき)|森岡書店代表。1974年山形県生まれ。資生堂『花椿』で「現代銀座考」を連載中。それをまとめた『800日間銀座一周』(文春文庫)を2022年4月に出版。共著の『ライオンごうのたび』(あかね書房)が全国学校図書館協議会選定図書に選ばれた。
Text: Sawako Akune(GINGRICH)
Photo: Kousuke Tamura
Produce: Hitoshi Matsuo(EDIT LIFE),Rina Kawabe(EDIT LIFE)