銀座には、いつかの時間が
ふと紛れ込んできても、
おかしくない雰囲気がある。
朝吹真理子|作家
「銀座百点」を知っているだろうか。銀座の喫茶店やお店のレジ脇などに見つかる小冊子といえばピンとくる方も多いかもしれません。銀座の文化を届けることを目指して、1955年に創刊されたタウン誌だ。銀座の店やイベントについての記事が詰め込まれるこの雑誌、向田邦子、池波正太郎、和田誠など錚々たる作家が文章を寄せてきたこともよく知られています。作家・朝吹真理子さんもそこに名を連ねる一人。この「銀座百点」でのエッセイをまとめた『だいちょうことばめぐり』を昨年上梓しました。
MAGAZINE|2022.04.01
--ご著書『だいちょうことばめぐり』(河出書房新社)は、「銀座百点」での連載をまとめたエッセイ集ですね。「銀座百点」のことは以前からご存知でしたか?
「はい。亡くなった祖母の家にも届いていて、お話をいただいたときはとてもうれしかったです。編集部の方にお聞きしたのは、『銀座百点』は戦後しばらくしての創刊で、女性の職業として編集室をつくることがひとつの目標としてあったそうです。今でも編集部は女性だけ。そういう背景も素晴らしいと思いますし、あの小さな判型も好きです。女性の小さなハンドバッグや、男性のジャケットの内ポケットにもすっと入るサイズで、レジ脇などに置かれていて、お会計待ちの時なんかにぱらぱらとめくって、『まあ持って帰りますかね』って感じで無造作に連れていける、あの気楽さがいい。いかにも雑誌らしい雑誌ですよね」
--「だいちょうことばめぐり」の「だいちょう」は、歌舞伎の脚本である「台帳」のこと。本作では、歌舞伎だけでなく、日々のことごとが時空や距離をまたぎながら印象的に描かれていました。
「はじめお話をいただいたときは、毎月歌舞伎をテーマに書いてほしいということだったのです。本にも書いている通りに歌舞伎は好きですけれど、さほどに勉強しているわけではありません。歌舞伎の演目からテーマの説明まで、何年間も連載するのはちょっと荷が重い……とお答えしたら、なし崩し的に、毎回歌舞伎の演目が一行出てくればいいということになりました(笑)。それで基本的には四季折々の身辺雑記になりました。タウン誌の喜びは街の中で気軽にめくって読むことだと思っていましたから、季節や食べ物のことを思い出すようなことを書いていきました」
--エッセイの緩やかな軸になっている歌舞伎のことば。朝吹さんにとって歌舞伎の魅力はどんなところですか?
「自発的に通うようになったのは、大学に入った頃です。旧歌舞伎座の幕見席が当時1,000円もしないくらいで、かつ出入りも自由。ライブに行くような感覚で気軽に通っていました。ちょうど日本文学を勉強し始めた時期でもあったので、下座音楽や謡、台詞などを体に染み込ませたいと思っていたんです。最初のうちは、言葉も音楽もよく分からなかったのが、だんだん聞こえてくるようになる。そこからかかっている演目の台帳を図書館で借りて読んだり、あるいは同時代に書かれた作品を読んだりするようになりました。
歌舞伎を見たり、あるいはお祭りのお囃子を聞いたりするとき、かつて生きていた人に近づきたいという気持ちが湧きます。当時の人たちが耳にしていたものを自分も耳にしたい、今生きている役者越しの幽霊たちに会いたいし、その役者を見ていた観客たちの幽霊にも会ってみたい。そういう気持ちで見に行っているように思います」
--作中には歌舞伎座を中心に、銀座という街が幾度か登場しました。朝吹さんにとって銀座はどんなイメージの街ですか。
「子どもの頃の記憶でいうと、友達同士で遊びに行く場所ではもちろんなかったですね。何かの用事のついでに両親や祖父母に連れられて、たとえば資生堂パーラーに行ったり、博品館でおもちゃを買ってもらったり。大人に連れられてくる、大人が楽しむ街。子どもは付属的な存在でしたから、退屈でさほど好きではありませんでした(笑)。大人たちも普段着ではなかったですし、そういうパリッとしたイメージは今も持っています。
今では友だちと会うことが多いかな。頻繁にというわけではありませんけれど、こことここが好き、という決まったところがいくつかあります。歌舞伎を見に行ったり、1丁目の〈ギャラリー小柳〉にアートを見に行ったり……。7丁目の〈銀座ウエスト〉の喫茶室は、夜が好きです。蛍光灯がぼうと光って、渋い空間なのになんだか未来的で。おでんの〈やす幸〉さん〈お多幸〉さんも行きますし、8丁目の月光荘〈月のはなれ〉でたまに友達とお茶をすることも……。あっ、GINZA SIXではB2Fの荻野屋さんでよく釜飯を買って帰ります(笑)! 取材で今伺っている『中村藤𠮷本店 銀座店』(4F)は、京都の帰りに京都駅のお店で生茶ゼリイを買って新幹線の中でいただいています。おいしいんですよね。GINZA SIXの向かいにある〈かねまつ〉本店ビルの2階にあるカフェで、通りを歩く人を見ながら原稿を書いていることも多いですね」
--原稿を外でも書かれるんですか?
「外で書くことが多いです。今日もパソコンを持ってきています。家でも書くのですが、家では眠くなったらすぐに寝てしまうので、なるべく外に出ています。原稿を書く時は〈和光〉のティーサロンもたまに行きますね……、ひとつの街に行ったら何軒か回遊しながら書いています」
--歌舞伎を通じてかつて生きていた人に会いたいという先ほどのお言葉もそうですが、朝吹さんのご著書を読んでいると、眼前の景色にいくつもの時間のレイヤーを感じる瞬間がある。昔からのつながりの上に今があるという感覚をもたらしてくれる印象があります。
「時間と銀座ということでいうと、私は吉田健一(1912年-生まれ、昭和に長くわたって活躍した文芸評論家。父は元首相の吉田茂)がとても好きです。銀座には吉田健一が飲んだり食べたりしたという場所がたくさんあります。『海坊主』という短編は、ある男が銀座でお酒を飲んでいたら、相手が海坊主だったという掌編。特に昔からあるような銀座の店には、そういう出来事が起きてもおかしくないような雰囲気が今もありますね」
--最後に銀座やGINZA SIXに思うことがあれば教えてください。
「昔遊郭や高いお料理屋で重要だった場所はお手洗いだそうです。一人になるトイレで現実に戻ってしまうといけません。だからとっても凝って絢爛につくったそう。銀座には現実を忘れかける素晴らしいお手洗いが多い! 和光は居心地がよくて、資生堂パーラーも。
GINZA SIXのお手洗いもとってもきれいですよね。広々として明るすぎず、清潔で、品があるからショッピングの高揚感を保つことができる。パウダースペースに、きちんとゴミ箱が備え付けられているのがたいへんありがたいです。お化粧直しをした後のゴミがパッと捨てられます。お手洗いの空間がピッとしていると、使う方もこの美しさを保とうという緊張感が生まれる気がします。
今回この取材で、初めて屋上の空間を知りました。こんなのびのびとできる憩いの場所があるなんて知らなかった! 桜も咲いていますね。今度地下でお弁当を買ってここで食べてみたいと思います」
朝吹真理子(あさぶき・まりこ)|作家。2009年「流跡」でデビュー。10年同作で第20回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を最年少受賞。11年「きことわ」で第144回芥川賞を受賞。その他の作品に、小説『TIMELESS』などがある。21年「銀座百点」でのエッセイをまとめた『だいちょうことばめぐり』を上梓。
Text: Sawako Akune(GINGRICH)
Photo: Mai Kise
Produce: Hitoshi Matsuo(EDIT LIFE),Rina Kawabe(EDIT LIFE)